第8回 茅葺きの母屋 おかえりなさいの家

宮下邸(泰阜村三耕地)

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 この邸の創建など詳細は不明である。しかし宮下家では元禄の年号の刻まれた墓石があるから少なくともそれ以前から続く家柄である。母屋の構造はおよそ七間の正方形の茅(かや)葺きである。玄関は二つあり、ふつうに使う玄関と式台(賓客を迎える玄関)のように使ったと思われるものと分かれている。ここからも邸の家柄が偲ばれた。

 茅葺き屋根の形状は日本家屋の原型といっても過言ではなく、入母屋造りと寄せ棟造りを合わせたような形状をしている。茅とはイネ科の植物の総称である。その中で屋根を葺くのに使う茅は主にはススキである。茅のなかで最も寿命が長いからである。一口に一代に一回本葺き(屋根全体を葺き替えること)をすれば良いといわれるくらいだから三、四十年はもつのである。これにはいろりの煙も効果的であった。では本葺きをするのにどのくらいのススキが必要なのか?ことばでは表しにくいが、ひと秋に刈った分では間に合わず、何年か分のススキが必要だった。宮下家では母屋の天井裏いっぱいに保存して葺いていた。

 さて、常は離れて暮らしているお孫さんと宮下さんが外出先から戻ったときのこと、玄関を開けながら「行って来ました」と何気なくいった。するとお孫さんが挨拶は人にするものなのに誰もいない家にどうして挨拶がいるのかと不思議そうに「誰もいないよ」と見上げた。その問いに宮下さんは「家に帰ったらまず家にあいさつするんだよ」と説明したそうだ。明快である。今思えば筆者も小さい頃学校から帰ると玄関をあけながら「行って来ました」といった後、母に会えば「行って来ました」といい、祖母に会えばまた、父に会えばまた。何回も「おかえりなさい」を聞いていた。玄関を開けながらの第一声は家にいっていたのかもしれない。

 「おかえりなさい」が聞こえる家、それは茅葺きだからや、家柄の古さではないはず。宮下さんの家とご家族の温かい関係を見習いたいと思う。

 読者のみなさまに謹んで新年のおよろこびを申し上げます。
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