第4回 かわいい「へ」の字の邸宅

市瀬邸(伊賀良大瀬木)

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 市瀬邸の正面には果樹園が広がりその向こうに高速道路が通っている。東向きの母屋の左右には塀と門を備えている。向かって左、南側の門は蔵を配置した庭に続き、右の門からは長屋、米蔵へと続く。また北側には昔は水車小屋もあったという川が流れている。

 母屋は今から140年あるいはそれ以前に創建された本むね(棟)と言われる造りである。一般的に本棟造りとは切り妻造りの妻入りで大きさは梁間、桁行が八間から十間ほどの正方形のものが多い。そして屋根はゆるやかな傾斜で大きく、石で押さえた木板でふかれている(現在、多くはトタンにふき変えられている)。この形式の家屋は長野県独特の造りで他県には見られない。雪の多い北信などを除き、大町あたりからこの南信地区まで分布している。歴史的には養蚕が盛んになる明治以前によく建てられた構造である。

 ところで市瀬邸の本棟の平面は長方形で桁行は八間だが妻(建築用語でこの邸の場合、玄関のある面のこと)の梁間は六間で本棟としてはコンパクトである。その妻の梁は曲材を半分に割って左右対称に用いている。それがコンパクトな妻に「へ」の字の梁で愛らしい。匠の技が入った太い梁とその木組は民家の魅力のひとつだと筆者は思っている。

 玄関に入るといろりに使った竹筒が柱にかけられ、奥の駕籠に青葉があしらわれている。邸宅にマッチした飾り方である。米蔵は手作りギャラリーで知人の絵画約三十点が飾られている。今度は昔使っていた陶器などの食器を内蔵に展示しはじめている。邸宅そのものも含めてこの邸はまるで庶民ギャラリーである。また庭など外回りもきれいである。市瀬さんは邸宅を手入れをしていると言うよりかわいがっていると言う方が適切だろう。

 玄関先からの眺めを「今じゃそこに高速があるけど、昔はたんぼで向こうに南アルプスが見えて良かったと思うよ」と当時を思い語ってくれた。水田はやがて桑畑になり、現在は果樹園になっている。この「へ」の字の邸宅は市瀬家の代々の人々と、時代の変遷や風景を見ながら今なお建ち続けている。
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