第5回 よみがえった民家 ちょうべい工房

山本邸(泰阜村 左京)

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 山本邸の所有はこの地に代々続いた波多野家である。現在の当主は上郷に住みながら、今でもここに来て野菜作りをしている。一年前のそんな折、鎌倉に住んでいた山本さんはたまたまここを訪れて波多野さんと出会い、この邸を借りようと即決したと言う。理由は広さである。山本ちょうべいさんは衣類の染め物を業とし、縫製もできる良子さんと暮らしている。また画家でもある。

 仕事には座敷につながる三つの部屋の障子やふすまをはずし、通しで広く使い、また畳も除き板床にしている。日本家屋の特徴のひとつとして融通性がある。客間でもふとんを敷けば寝室で、卓袱台を置けば食堂になる。そして畳をはずして蚕室にし、工房にさえもなる。いろいろな目的に使うことができる。それに対して洋式の家は寝室、食堂、リビング等、目的に応じて部屋が作られ、別の用途には使いにくい。

 ところで、母屋はおよそ六間(けん)半六間の切り妻造りの平入りで、築後300年ほどと言われている。この邸の梁は特別太いので波多野さんにたずねると「何本かは通しなんだに」と教えてくれた。六間の通しの梁とは単純に八畳間、三部屋分はある長さである。これだけ年数を経てもゆがみの少ないのはこの梁の組みがあるからに違いない。

 しかし、波多野さんがここを離れておよそ30年たっている。夜に物音がするのはネズミかと思っていたら実はコウモリだったと言う。カビのはえた畳を棄て、もらったガラス戸を入れた。またワインボトルを土壁の落ちた部分に埋め込んだ。暗い家の中からはそれぞれの色に光ってきれいである。二人は工夫こらし、ひとつひとつ克服し、今は泰阜に暮らすことに不自由はないと言っている。でも不安があるとすればこれから来る初めての冬だそうだ。

 家は不思議だ。いくら立派でも住み手のない家は「気」が抜けている。ここもちょうべいさんが住みだして息を吹き返したと思う。ハード的に古い民家の美しさを保ち、今の生活様式にも合うように建て直すことを民家の再生と言うが、ソフト的に人が住みだせば、それだけで家は再生されると思う。家は住む人がいるからこそ価値があり「すまい」と言える。

 一方、ここを貸した波多野さんの気持ちを筆者は思う。住んでいないとはいえ実家であり、いつでも帰れる場所を人に貸すのは心情的に抵抗があっただろうし、勇気のいることだと思う。あえて貸そうと思ったのはちょうべいさんの熱意の他にどこかでこの邸を再び生かしてやりたい気持ちがあったと思う。住んでない間もずっと愛情を持たれていたに違いない。
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