第13回 願いの継承

鎮西邸 1(下條村 鎮西)

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 鎮西(ちんぜい)邸は下條村鎮西(ちんざい)の大山田神社近くにたたずみ、松屋敷の屋号で知られている。鎮西家は1200年ころから下條の地に居を構え現在の御当主で三十四代目である。大山田神社には飯伊地区でも三本の指に入る大杉があるがその推定樹齢が鎮西家とほぼ等しいのに著者は気の遠くなる思いがした。

 さて母屋は梁間九間の本棟造りで南東向きに建っている。玄関は大戸で潜り戸がついているものと式台とふたつに分かれている。母屋に向かって左に庭がつながり、その奥には文庫蔵がある。左に穀蔵、切り妻の離れがあり、この地方の代表的な民家の配置をしている。

 昔は家を建つときに、施主や棟梁の名前、棟上げの期日、家を建てるに至った経緯などを書き記した棟札という板を取り付けた。鎮西邸の母屋では二年前の改装によりこの棟札が見つかった。それによると嘉永三年(1851年)とあり、その年が創建かと思えばそうではなく、その時は大改修で、創建は更に古く少なくも150年以上ということになる。この邸はあと、屋根を板葺きからトタンに変えているし、2年前に改装しているから少なくとも3回は改修している。現在民家の再生とよくいわれるが、しっかりした材で造られた家のスパンから考えると再生と大上段に構えることはなく、補修して家の寿命を使い切ろうというだけのことという気がする。しかしいうのは簡単だが現在では補修(再生)することは新築するよりも負担がかかるのは事実である。

 さて上の写真画面右下のアスパラの畑はもとは丘に沿って弧を描いたような形のたんぼであったはずである。それが広く長方形の畑なので、近年の区画整理かと思えば江戸時代に行なったものだそうだ。これによって作付け面積が増えるわけではなく、収量もさほど変わらなかったはずである。それなのに重機も無い時代に手作業でするとは大変な労力であったと想像される。しかしそれを可能にしたのは代々続くであろう子孫のために耕作効率を向上させておきたいという願いに他ならない。

 家という考え方だけでは今には合わないかもしれないが、われわれが現在、生を受けて暮らす前には歴史があり、後には未来がある。先人の知恵を学び、後世の人々の徳を考えて現在を生きることが今を生きるわれわれの存在価値だと筆者は思う。
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