第12回 命の継承 御 家
遠山邸(天龍村 平岡)
遠山邸は平岡の天龍村役場近くの国道から天竜川にかけての斜面に位置している。和田城主の遠山氏より元和元年に遠山權太夫景道が分家し、現当主景政氏で十三代目、385年続く家柄である。また御家(おいえ)の屋号で知られ、天竜川の通船が盛んであったころには満島番所の役職を担っていた。
母屋は元和年間の創建で、切り妻造り平入りの平屋である。家族の出入りする玄関と番所の出入りのそれとふたつあり、北側には寛政年間に移築された書院造りの座敷をもつ長屋が続いている。母屋の内部には梁にていねいな彫刻が施されている。手斧(ちょうな・カンナ以前から木材を平らにするために用いられた大工道具)か鑿(のみ)で彫刻してある。よく見ると外の建具まで同じリズムで刻まれている。その梁と柱や床などとに年代の差を感じてたずねると昭和三十年代に屋根を板ぶきから瓦に変えた時、梁も造りなおしたとのことだった。本来板ぶきの屋根の傾斜は瓦のそれに比べてゆるやかであり、瓦ぶきにするには妻桁の梁から上を造り変えて屋根の傾斜をつける必要があった。この彫刻は構造的効果は無論ないので純粋にデザインであり、新旧の材の統一感をだすための心配りであろう。施主の見識と匠の技そして双方の感性が思われる。
遠山家には邸の他にも代々が使用してきた逸品が多数ある。「代々が暮らした家、育んだ家具や道具には、それぞれ使った人の生命が吹き込まれている。祖先と同じに暮らし育むことで継承し、伝えたい」と御当主はいう。単に古いものだから大切にしようというのではなく、そうすることで自らも充実する。それが氏の生き方なのだと筆者は感じた。家は人を表すといわれるがその通りだと思う。