第11回 民家の融通性 はずせる柱

矢澤邸(伊賀良 北方)

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 矢澤邸は飯田インター近く中央道と国道256号線の間にあり、金谷の屋号で知られている。母屋は入母屋造り総二階、その座敷に面した南側に庭園を配している。屋敷は切り妻の門を中心に広く塀で覆われている。

 この塀は規模の大きさもあり、直線的な緊張感を持った美しさがある。そもそも直線的なものは自然界には存在しない。現在ではビルや電柱、道路等々直線的な風景は希ではないが、それらはすべて人によって作られた構造物である。他に直線的な構造物の少なかった昔、この邸のまわりは地形や川の流れに沿った曲線で縁取られたたたんぼであった。そこで作業をしながらこの塀を眺めた人たちは筆者が今見る印象とはまた違うものであったであろう。

 さて現在の住居は部屋ごとに機能を持たせ、それを壁と扉で区分することが多い。郷のすまいのシリーズ中でさまざまな家をたずねてきたが、民家では部屋と部屋は障子や唐紙で区切られ、それらをはずせば大広間になる。このような民家なら冠婚葬祭も自宅で行われていたこともうなずける。ベッドやテーブルを置いた洋風の部屋とは違い、民家の部屋には融通性がある。しかし使いぱなしでは融通性はない。布団を敷いたままでは寝室だから起きればすぐにたたんで片づける。融通性を保つにはこの片づけが大切である。常に部屋をゼロに戻す必要がある。飛躍するが昔から諸外国の文化や文明、宗教までも吸収し独自に発展させてきた日本人の精神性にも通ずることだと筆者は思う。この矢澤邸では障子や唐紙に留まらず柱さえ取りはずせる構造になっている(上の写真の座敷と廊下の間の柱)。大大広間である。このはずせる柱は庭との関連を考えた感性と匠の技、遊び心、余裕を筆者に感じさせた。
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