彼はよくチラシを配ったり、「いっしょに歩こうよ」と誘っていた。彼もやはり何か自分にも
できることはないか?と考え、行動していたと思う。
彼は終わりのミーティングでもはっきり「自分は普通の日本人より目立つだろう。こんな僕に
できそうなことがあれば広告でもなんでもどんどん使ってくれ。」と言っていた。平和につなが
ることなら何でもさせて欲しい。ということだろう。そんな思いが世界中につながれば戦争のな
い世界になれるかもしれない。すくなくともいっしょに歩き出してくれた女の子たちとはつなが
れたと思う。
広島で人文字を作ったらどうか?と思う人がいて、それはいいと協力する人がいる。主催者と
参加者というより言いだしっぺと賛同者という感じである。ここが「市民の力の新しい結集」の
仕方だと思うのです。今までの市民の力の結集は組織とか団体とかを構築することから始まって
いたように思うのです。インターネットやメールとかの発達も貢献していると思いますが、呼び
かけに即座に反応した個人が結集する。世界各地で行われた反戦デモも同じだと思います。
そして飯田の3・30でも同じものを感じました。
自分と考えが違う人とは距離を置きたくなる。それはいいとしても自分の考えが正しいと思う
ほど、相手が憎くなることがある。これが国レベルになると戦争の危険性が高まるのではないか
と思う。正しいと思ったところで、それは単に思いこみだったり、知識不足だったりすることも
ある。飯田に暮らす日常の中で白と黒を融合させてグレーを目指すより、自分が黒ならば白を、
白ならば黒を理解することに勤めたいと今はそんなことを思っています。