第1回 深山民家

遠山邸(南信濃村名古山)

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 遠山邸は遠山谷の中、遠山川と国道418号線との間にある。著者はここを通るたびこの邸が気になっていた。母屋は本棟と入母屋とをミックスした造りで、隣に蔵を備えてなかなか立派である。しかしこの邸に一番ひかれたのは母屋のすぐ下まで続くたんぼの土手と言うかあぜ道と言うかとにかくそこの石積みである。母屋の脇にいけすを備えたりっぱな庭もあるが、石積みの為かたんぼが引き立って見えてそこまでが庭のように見えた。大庭園を持つ家である。この頃は構造改善によりコンクリートの土手も多くなったが、それまではたんぼの区切りは本当の土手が多かった。そこが石積みだということはかなり由緒ある家柄で、相当昔から力のあった家ではないかと思われたからである。

 筆者はこの度の取材で初めてお邪魔した。話を伺ってみるとやはりその通りで、遠山邸は建てられてから150〜200年はたっているとのことであった。

 ところで1987年(昭和62年)に418号線として国道が拡幅改良されたとき、遠山さんにも土地供出の要請があった。遠山さんはヘキを石積みするよう条件をつけた上で承諾したそうだ。母屋からたんぼに降りる一段目のものがそれだ。もしもここがコンクリートであれば筆者も伺うことはなかっただろう。

 話は飛ぶが、大正あるいは昭和の前半までは風土、地形にあわせて家を建つのが当時の生活条件にもっとも便利な家であった。最近は土地を造成する重機も発達し、建築施工法も向上と言うか多様化してきた。またこの地方でも下水道がだいぶ完備してきて、どこにでもどんな家でも建てるようになってきた。それ自体良いことではあるが、現在では生活に便利な家と言うものは風土と関わりをあまり持たなくても建てられるようになった。「景観を守ろう、景観に配慮しよう。」と景観が問題になる原因はここだと筆者は考える。だから風土にあった家を建てていた当時は景観と言う概念もなかったし、そのままで美しかったのだろうと思う。今では技術が進歩した分、景観を維持して行くためには智恵がいるということだと思う。
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南信州新聞連載1999.6.30(平成11年)~2000.8.6(平成12年)